エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)オンラインブックダウンロード
エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)
によって スピノザ
5 5つ星のうち(13人の読者)
エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)オンラインブックダウンロード - 内容紹介 スピノザは『エチカ』の中に自己の哲学思想のすべてを結集させた。典型的な汎神論と決定論のうえに立って万象を永遠の相のもとに眺め、人間の行動と感情を嘆かず笑わず嘲らず、ただひたすら理解しようと努めた。ドイツ観念論体系成立のうえに大きな役割を演じ、また唯物論的世界観のすぐれた先駆的思想でもある。
エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)の詳細
本のタイトル : エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)
作者 : スピノザ
ISBN-10 : 4003361547
発売日 : 1951/9/5
カテゴリ : 本
ファイル名 : エチカ-倫理学-上-岩波文庫.pdf
ファイルサイズ : 27.59 (現在のサーバー速度は20.66 Mbpsです
以下は、エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
スピノザの「エチカ」は、その難解な (だが必ずしも厳格ではない) 数学的・幾何学的な記述方法にもかかわらず、内容的には欧米人よりもむしろ日本人 (又は東洋人) に受け入れやすい哲学だとどこかで読んだことがある。理由は簡単で、心身一元論、汎神論というエチカの根幹をなすアイデアが、日本人 (又は東洋人) 独特の考え方や生活感情、昔からの生活習慣とすんなり一致するからだという。① 心身一元論:東洋医学や日本人 (東洋人) の考えたかには元々、心 (精神) と体 (物質) とを厳密に区別して考える習慣がなく、昔から「病は気から」とか「心は形に添う」といった成句が示すように、心と体とを一体の物として考えていた。② 汎神論:日本人は大昔から自然物であれ人工物であれすべての物には魂が宿っている (さらに言えば言葉には言霊が宿っている) と、ごく普通の生活感情として考えている。さらに八百万(やおよろず)の神を敬い、神道も仏教も受け入れるおおらかな (逆に言えばいい加減な) 民族である。そんな目線で本作「エチカ」を読んでみると、たしかにすんなりと納得できる点や、日本人の感性にピタッときて、大いに感動した点がいくつもあった。ピターッときた (感動した!) 部分のすべてをここに書くと煩雑なので、文字どおり興奮を覚えた1点を以下に書きます。・永遠についての考察[第1部定義8、第5部定理29などの 私なりの要約] 無限知性から成る真理空間があり、これが宇宙=自然である。三角形の内角の和が180°などの真理はこの広大無辺な真理空間の微小な一部をなす。同様に、私(人間)も、宇宙=自然の一部であり、このことは「三角形の内角の和が180°であるという真理」が時間と無関係(つまり永遠)であるのと同じくやはり永遠なのである。要するに私がいま・ここに現に存在していることがすでに永遠なのである。なぜなら三角形の内角の和が180°という事実は、この世が生まれる前から滅びるまで変わらない (=時間を超越している、つまり永遠の) 真理=必然性だし、私が20世紀から21世紀にかけての一時期、この地上に生を受けたという事実は、それが事実である以上、未来永劫、どうにも変えようのない (つまり永遠の事実=真理=必然性) なのである。ところで、必然性には以前も以後もない (つまり永遠) である(※)。(※) 三角形の内角の和は必然的に2直角である。あるいは、私がいま・ここに存在することは必然的 (注) であると認められる。(注)もしも私がたまたま (偶然) ここに存在していると考えた場合、必然性というものが意味不明になるから。→ ポンと地面に放ったボールは偶然どこかへ転がる。その証拠に何度も放ると、さまざまな場所に転がる。なぜならそれが偶然だからである。しかし、もし「私」がボールを放るように何度でも生まれ変わって人生をやり直せ、そのたびに様々な場所で様々な人生を送れるのなら、私のいまある人生はまったく偶然の産物である。だが、私は後にも先にも1回こっきりの人生しか与えられない (1種類の人生しか選べない(補注)) のだから、この人生は必然的という他はない。(補注) 三角形の内角の和は180°という角度しか存在しない (選べない) のと同様、私は1種類の人生しか選べない。だから結論として必然性には以前も以後もなく、必然的に「宇宙=自然や私」が存在するかぎり、事物や私が、いま・ここにあることが、すなわち「永遠」である。
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